開成館は、郡山の疎水事業である安積開拓の中心的役割を担った「福島県開拓掛」の事務所だった場所です。
大久保も絶賛、美しき擬洋風建築
明治天皇の東北行幸でも、明治9年には行在所として、明治14年には昼食会場として使用されています。
明治7年に建設された擬洋風建築。
当時には洋風の建築法が伝わってなく、擬洋風建築(西洋風に似せた建物)だったとか。
昭和8(1933)年には、国の史跡に指定されました。
この建築を見て、東北巡幸の先発で来ていた大久保利通も
「人民も百二十戸位も移住の由 この中央に洋室の盛大なる建築これあり
三階作にて眺望至りて宜しく最風景も美なり」
と明治9年6月3日の日記に記述しています。
松方正義の公揮毫「松竹茂」も
室内は当時の面影をそのまま残しつつ、ギシギシと床が軋み、ちょっと寒い。震災後の崩れなどが修復された後の状態でした。
安積疎水事業の史料ほか、明治天皇の東北巡幸の際の史料もあり、見応えありました。
内閣総理大臣も務めた松方正義の公揮毫「松竹茂」も。
大正11年に安積疎水組合第40回記念式典の際来郡し、
帰京後、郡山の今泉得三氏に揮毫したものだそうです。
敷地内には、開拓入植者の住宅も3軒ありました。
旧小山家↓
家の中も上がれます。
安積開拓官舎だった旧立岩一郎宅↓
上の写真は「重松清風舎」扁額で立岩家にかかっていました。
松方正義の書。
説明によると明治12年10月に安積疎水の起工式に来郡した際、立岩家が宿舎となり、その感想を書に残したもの。
「松が茂り、清らかな風が清らかな風が入ってくる」という意味だそうです。
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