三橋楼は、明治8年、大阪会議に向け、大久保利通・木戸孝允の最初の会議が行われた場所だそうです。 大阪会議に向けて大久保利通・木戸孝允が最初に会議した場所 説明には、 「幕末〜明治中期、難波・天神・天満の三橋を北に望む高台にあった料亭で、 明治8(1875)1...
◆三橋楼【大阪会議/大久保利通/木戸孝允】
2015-07-15
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
三橋楼は、明治8年、大阪会議に向け、大久保利通・木戸孝允の最初の会議が行われた場所だそうです。 大阪会議に向けて大久保利通・木戸孝允が最初に会議した場所 説明には、 「幕末〜明治中期、難波・天神・天満の三橋を北に望む高台にあった料亭で、 明治8(1875)1...
大坂北浜に大坂会議開催の地があります。 明治8年に、伊藤博文、井上馨の仲介により、 大久保利通、木戸孝允、板垣退助の協議が大坂北浜の料亭「加賀伊」(現)で行われました。 木戸孝允より大阪会議の成功を祝い「花外楼」の名前を贈られる 大阪会議開催の地のビルに、大久保利通...
伊藤博文が大磯の滄浪閣で話した話の続きです。 (→(記事) 大久保利通は立憲政治を目指していた ① ) 大阪会議は実は、民間政客の意志によって成立したもののように伝えられていますが、 事実の真相を誤っていると伊藤は言っています。 国会の将来を思い木戸を推したい ...
伊藤博文が大磯の滄浪閣で話した話が「甲東逸話」に載っており、それが興味深いものだったので紹介します。 その内容は、大久保利通の死後、憲法制定の頃、板垣退助が演説された新聞記事を見て語ったもの。 大久保を最近でも専制主義の人という見方がありますが、そうではないと伊藤が語っていま...