公開は、2018年1月6日〜3月18日まで。
「大黒寺」は伏見の丹波橋駅から徒歩10分ぐらいの場所にある薩摩寺です。
結構こじんまりとしたお寺。
住宅街の中にぽつんとあり、寺田屋や龍馬が寺田屋事件の際に逃げ込んだ薩摩藩の伏見の藩邸などが、近くにあります。
伏見にある薩摩寺「大黒寺」 |
結構こじんまりとしたお寺。
住宅街の中にぽつんとあり、寺田屋や龍馬が寺田屋事件の際に逃げ込んだ薩摩藩の伏見の藩邸などが、近くにあります。
京の冬の旅、大黒寺の特別公開は初 |
大黒天がお迎えしてくれる |
大黒寺にある西郷隆盛と大久保利通が会談をした「会談の間」
ここに、西郷隆盛と大久保利通が会談した「会談の間」があります。
会談の間の瓦には島津の丸十字の紋が |
今回の特別公開では、この「会談の間」に入り説明を聞くことができました。
この「会談の間」には黒い2対の龍の欄間があり、西郷隆盛がとても気に入っていたものだとのこと。
また、実際に使ったとされる墨、筆、硯、煙草盆があり、なんと、触ることができました。
薩摩九烈士の墓と平田靱負の墓
また、この寺には、文久2年に怒った寺田屋騒動(寺田屋事件)にて、上意討ちで亡くなった薩摩九烈士の墓と平田靱負の墓もあります。寺田屋騒動の九烈士の墓を示す石 |
薩摩九烈士は、薩摩藩の西郷、大久保らが率いていた誠忠組のメンバーで、上意討ちした志士もされた志士も誠忠組のメンバーでした。
西郷が京都からいなくなったあと、寺田屋騒動へと進んでしまいます。
(「大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年」)
薩摩九烈士の墓 |
お墓は、西郷隆盛が私財を投じたもので、墓石の名前は西郷が書いたとか。
薩摩九烈士は、有馬新七、田中謙助、橋口伝蔵、柴山愛次郎、弟子丸竜助、橋口壮介、西田直五郎、森山新五左衛門、山本四郎。
また、宝暦3年(1753年)の木曽三川分流工事の責任者だった薩摩藩の家老「平田靫負」の墓もあります。
薩摩藩とゆかりのある大黒寺
大黒寺の説明の立て札 |
薩摩寺と呼ばれる「大黒寺」は薩摩藩と縁があり、元和元年(1615)に薩摩藩主、島津義弘が島津家の守り本尊である大黒天が藩邸から近いこの寺に祀られていたことから、伏見奉行所に懇請して藩の祈祷所とし、長福寺という名前を大黒天と改めさせたとか。
こちらにも大黒寺の説明が書かれている |
◆関連記事
・寺田屋事件の前日譚(シリーズ)
大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年
→①西郷帰還と薩摩出発まで
→②下関に到着、いなかった西郷
→③伏見で西郷と会い、ひと安心!?
→④西郷と大久保の決断
西郷隆盛と大久保利通が会談した伏見の薩摩寺「大黒寺」に行くには、京阪電車の丹波駅下車か近鉄丹波駅下車で徒歩10分。
住宅街を歩いて行きます。
◆地図