薩摩藩は75万石の雄藩で、総人口は約70万人、そのうち約20万人、約4割が武士という、日本一武士の割合が多い藩です。 薩摩藩士たちの身分は、世襲制の家格によって階級がわかれていました。 薩摩藩の家格 薩摩藩の家臣たちの家格は、10の家格に分かれていました。 [...
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
薩摩藩は75万石の雄藩で、総人口は約70万人、そのうち約20万人、約4割が武士という、日本一武士の割合が多い藩です。 薩摩藩士たちの身分は、世襲制の家格によって階級がわかれていました。 薩摩藩の家格 薩摩藩の家臣たちの家格は、10の家格に分かれていました。 [...
あけましておめでとうございます。 新年1本目はどうしようかと悩んだのですが、今日飲んだ芋焼酎が小松帯刀だったので、大久保利通から小松帯刀への手紙を紹介します。 小松帯刀は、薩摩藩の家老で、幕末期、大久保、西郷と共に活躍しています。 京都から帰藩の際に小松へ送った二首...
今現在も10月の第4週になると行われている「妙円寺詣り」は、鹿児島市内から日置市伊集院町の妙円寺までの道のりを歩いて参拝する伝統行事。 島津義弘が敗北した苦難と壮挙を偲ぶ明円寺詣り 慶長5年関ヶ原の戦いで島津義弘が敗北したその苦難と壮挙を偲ぶために、 片道約20...
鹿児島市加治屋町の川沿いに大久保利通生い立ちの地があります。 「 大久保生誕の地の碑 」とありますが、この場所は生い立ちの地です。 ただ、建てた後に” 実は生誕の地が、高麗町の方にあること ”に気がついたそうです。 (記事「 大久保利通生誕之地【鹿児島/...
大久保一蔵(利通)と坂本龍馬の二人の仲が伺えるエピソードを紹介します。 龍馬、横井小楠に大久保に会った話を 徳富蘆花が、父、徳富一敬(いっけい・かずたか)の談話を聞いてまとめた「青山白雲」に、「沼山津村」という話があり、その中で坂本龍馬が、大久保に会った時の話が...
大久保利通は、天保元年庚寅8月10日(1830年9月26日)、薩摩国鹿児島城下高麗町に、薩摩藩士・大久保利世(子老)と皆吉鳳徳の次女・福の長男として生まれました。 幼年の頃、家族と共に加治屋町(下加治屋町方限)に移住したといいます。誕生の記念碑も移り住んだ後の旧宅にあり...
薩英戦争時の大久保さんの動向が気になったので、調べてみました。 薩英戦争は、文久三年の七月二月から七月四日、生麦事件の解決を迫る英国と薩摩藩で行われた戦争。 生麦事件から足あとを追ったほうが面白いと思うのですが、ここでは、薩英戦争時の大久保さんを調べたので、アッ...
幕末鴻門の会 の舞台となった柳橋。 「浅草橋駅」から徒歩10分弱の神田川の最後にかかる橋で、台東区と中央区の間にあります。 春の夜や花見返る柳橋 実際の柳橋。現在の橋は昭和四年(1929年)完成のものです。 柳橋は、渡船で往来していたが、不便だ...
大久保一蔵の意外な一面が見れる逸話があります。 それは、 文久二年(1862)年、薩摩藩国父である島津久光が千の兵を連れて、上京したときのことです。 その際、薩摩藩国父、島津久光は朝廷の信頼を得て、勅書を受け取りました。 長州の周布政之助らとの会席 ...
いろんな新聞やメディアに取り上げられていますね。 幕末・維新史が変わるかもしれません。 記事によって出ている内容が違っていたので、ちょっとまとめて見ました。 重要文化財レベルの資料が数百点、全部で数万点の資料 発見されたのは、私塾「山本読書室」跡の土蔵。 この宿は...
この年表は、「大久保利通(佐々木克/講談社学術文庫/2004)」と「大久保利通 維新前夜の群像(5)」(毛利敏彦/中央新書/1969)を参考にしています。 (編集中) ※ 赤文字 はサイト内のリンクに飛びます。 ※ グレーの文字 は主な事柄です。 ◆◆◆ 年表 ...