新年1本目はどうしようかと悩んだのですが、今日飲んだ芋焼酎が小松帯刀だったので、大久保利通から小松帯刀への手紙を紹介します。
小松帯刀は、薩摩藩の家老で、幕末期、大久保、西郷と共に活躍しています。
京都から帰藩の際に小松へ送った二首の和歌
【按】京都より帰藩の途淀川舟中にて詠せし二首を在京の小松に贈りたるなり
よど河舟中夜半に月を見て
棹さして行くいく見れば
九重の都の空に月かすむ也
散花と都をたちてよど河の
月になかれてかへる旅かな
右御笑草に奉備御覧候 追々御高調も出来なされ候半
何も御下りの上、拝見奉るべく候 以上
三月二十六日 一蔵
帯刀様
(※「大久保利通文書第1」272頁 参照)よど河舟中夜半に月を見て
棹さして行くいく見れば
九重の都の空に月かすむ也
散花と都をたちてよど河の
月になかれてかへる旅かな
右御笑草に奉備御覧候 追々御高調も出来なされ候半
何も御下りの上、拝見奉るべく候 以上
三月二十六日 一蔵
帯刀様
「右御笑草に奉備御覧候」は照れ隠し!?
小松と大久保は和歌を送る仲だったんですね。和歌の交換だけではなく、煙草を送ったり、かき氷に誘ったり、橋公の豚肉クレーム(?)を送ったり、手紙からも結構仲の良さが伺えるものが残ってたりします。
それにしても、幕末の人々は皆、和歌を普通に詠んだりしていて、風情があっていいですよね。
大久保の手紙は、結構状況報告やら政治の話が多いのですが、その合間にこういうのを送っていたというのが、和みます。
大久保の手紙の「右御笑草に奉備御覧候」って、
照れ隠しのようですね。
大久保は意外と詩人!!
慶応元年の3月26日は大久保利通日記によると、大坂滞在の最終日だったよう。3月22日に京都を出て、夜伏見川を下り、3月23日の晩大坂に付き、26日まで大坂。
26日の4時に船に乗り、鹿児島に向かっています。
(※「大久保利通日記」242頁参照)
それにても、大久保は、結構詩人なんですよね。結構日記に和歌を残しています。
そういえば、浜寺の松を守るためにも詩を読んでましたね。
(※参照記事「和泉濱寺の惜松碑」)
和歌は、変体仮名のオンパレードなので、読みにくいこと、わかりにくいことこの上ないです。
この「よと河舟中月をみて」も日記にも記載がありました。
日記の和歌は、見ていると「月影」や「散花」って単語が多い気がします。
いくつか紹介しようかとも思ったのですが、「変体仮名」を調べるのが大変なので、今回はパスしておきます。
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◆参考文献
・「大久保利通文書第1」日本史籍協会 昭和2 (272頁 小松帯刀への書翰 慶応元年3月26日)
・「日本史籍協会行書26 大久保利通日記1」日本史籍協会 東京大学出版会 昭和2