禁門の変と鳥羽伏見の戦いの戦死者の墓
この墓に刻まれている、「甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓」の「甲子役」は、甲子(きのえね)=元治元年の7月19日(1864年8月20日)に起こった「禁門の変」を指し、「戊辰役」は、慶応4年の鳥羽伏見の戦いを指します。その両方の戦争で亡くなった薩摩藩の戦死者の合葬です。
禁門の変は、蛤御門の変とも、元治甲子の変ともいわれます。
少し場所がわかりにくく、自転車で、相国寺周辺を2,3周してしまいました。
あいにく門がしまっていたので、横にある碑の文字は見れませんでした。
近くには、「禁門の変」で亡くなった長州藩側の墓も
行った当時は気がつきませんでしたが、近くには、「禁門の変」で亡くなった長州藩側の戦死者の墓もあります。場所は、相国寺境内の西側の墓所。
ざっとネットでしか調べていないのですが、長州藩側の戦死者の墓は、関係者以外立ち入り禁止のよう。
薩摩藩と交戦した長州側の戦死者の20人の亡骸は、薩摩藩により、相国寺の塔頭の大光明寺に葬られて、のち明治39年に毛利家により墓石が建立されたとか。
首実検のあとの埋葬でしょうか。
薩摩藩士が20人あまりの長州藩士の首を獲り、この地に葬ったそうです。
◆MAP
甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓
→目次へ