BAKULAB。

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2014-08-18

大久保利通が背負った重く辛い呵責

2014-08-18

島津久光と大久保利通は、万延元年(1860年)3月、初めて面会したといいます。

当時、水戸藩浪士と連携し、井伊直弼ら幕閣を襲撃する突出計画が遂行し、大久保が誠忠組のリーダー格となって動いていたときです。

大久保はその年の閏3月には勘定方小頭格に任命され、それ以降、久光の元で出世し、薩摩藩の中核となり政治を動かします。


久光からの信頼、大久保の異例の大出世

大久保の出世は、
藩の役人として大久保公ほど早く出世した人は、鹿児島藩始まって以来例がない(※1)
と言われるほど早かったそうです。


文久3年には家老職に継ぐ御側役、御小納戸頭取兼任になっているので、それほど島津久光公、忠義公の信認は厚く、格別の思し召しがあったといえます。

一蔵の名も久光から受け賜わったもの。

大久保の家格は、はじめ御小姓組だったので、
異例の大出世だったことが伺えます。


実力があれば、出世させる久光公もとても賢い国父だったのではないでしょうか。



新政府で島津久光の協力を仰ぐが…

その後、大政奉還、王政復古の大号令と進み、大久保は新政府となる国家の礎を築くことになります。


当時の大久保は、「出来上がったばかりの新政府には、薩摩藩、長州藩の雄藩の協力は不可欠」とし、明治3年に島津久光公に協力を仰ぐため鹿児島に向かいました。


明治3年1月19日に鹿児島に着き、翌日に久光公、忠義公に会見。
「東京形勢の意見」を述べ、その後、何度も謁見し政府の事情を説明しますが、久光は政府の欧化政策、とりわけ封建制解体を目指していた事に強く反発。


とうとう2月24日には、大久保と久光の間で激論が起こります。
万延元年から長く久光公の元で働いていた大久保にとって、久光からの拒絶は想定外のことだったようです。


当時の日記には、下記のように書かれています。

一、二四日 今朝得能子等入来 同道二丸へ出殿
両公へ拝謁備後殿一條云々 言上追て御返詞成らざるべしとの御事にて
子細相伺得共 御沙汰これ無き候 且又 世上流布之御作一條相伺候處段々
御激論二相成十分御真意拝承いたし候 畢竟 門閥一條等 且つ知藩事のこと
迚も是にて治り相候に付き 御見留これ無き 御政度の處に第一不平云々實に堪えず
愕然小子愚在之次第は不憚忌諱曲直を明にし名分を正して及言上候去りながら
これ言うべからず 御沙汰などこれ有(※2)

久光は、「御政度の處に第一不平云々」を言い、大久保は「實に堪えず愕然」とあります。


またその日、酒を飲んで酩酊したと日記に書き残しています。
「今夕 皆吉五郎子藤井子父子石原子中井子海江田氏おまつ殿入来ニて及酩酊候(※3)


倫理の基本をゆるがすような呵責

これが大久保と久光の決別になったのはいうまでもありませんが、当時の倫理観や価値観からすると、その後、大久保の背負ったものは、とてもとても辛く重たいものだったと思わざるを得ません。



司馬遼太郎の「この国のかたち 1」に次のような記述があります。
「大久保が、旧主筋を裏切ったという倫理の基本をゆるがすような呵責から、生涯(明治十一年暗殺さる・四十九歳)まぬがれなかったであろうことを思わねば、明治初期という時代は理解しにくい。」(※4)





薩摩藩は特に郷中で目上の人を敬うこと教育をされています。

特に大久保は、久光からの信認は厚くかった
そのことを思うと、「呵責」は相当のものだったと推測されます。



それでも、日本の国会建設のためにーー

そういった倫理観や価値観、特に長く続いた封建の概念が残る時代で、新政府、日本のためだとしても、結果的に旧主筋を裏切ったことになってしまう


そんな中、「それでも植民地支配されない」、「外国と対等な国を創るため」に

現実をシビアに見続け、情熱のすべてを国家の建設にそそいだということを、

理解しないと、中々、大久保という人物を理解できない、そう思います。




全ては、日本の国家建設のためーー
そのために、「冷厳」あるいは「冷酷」に現実を見続けた人物、太政官の誰もが畏服しきっていました。



だからこそ、新政府が瓦解せず、今の日本につながっているのかもしれません。






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※1「大久保利通」松村淳蔵氏の談 226頁より抜粋
(※2)「大久保利通日記(下巻)」89頁より抜粋
(※3)「大久保利通日記(下巻)」90頁より抜粋
(※4)「この国のかたち 1」90〜92頁より抜粋



◆参考文献
・「大久保利通」(佐々木克監修/講談社学術文庫)
・「大久保利通日記(下巻)」(日本史籍協会)
・「この国のかたち 1」(司馬遼太郎/文集文庫)
・「歴史文化ライブラリー45 大久保利通と明治維新」(佐々木克/吉川弘文館)
 
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