養源院は、臨済宗建仁寺派のお寺で、本尊は薬師如来。
室町時代に曇仲道芳(どんちゅう どうぼう)(1367〜1409)が、相国寺の常徳院内に隠居のところとして、建てた寺だそうです。
戊辰戦争では薩摩藩の野戦病院だった
「養源院」は薩摩藩ゆかりの寺。戊辰戦争の際には薩摩藩の野戦病院となりました。
2016年3月18日までの特別公開でした。
秘仏毘沙門天は、とても凛々しいお姿でした。
「長生軒」の柱に、藩士らが傷付けた刀痕が残っていました。
説明してくれた方のお話では、戦いに出れない薩摩藩士たちの、悔しい気持ちが表れているとか。
枯山水のお庭も見事でした。
近衛家の「桜御所」より移築した書院「相和亭」
近衛家の「桜御所」より移築した書院「相和亭」からのお庭の眺め。
この池泉式庭園も移築、復元したもの。
奥には、茶室「道芳庵」も。この茶室も近衛家の「桜御所」から移築復元されたものです。
このガラスは江戸時代から残るものだとか。
書院には近衛忠煕の書も飾られていました。西郷従道もここで治療を受けていた
大山巌により英国公使・パークスに外科医の派遣が要請されましたが、京都という土地柄、天皇が住まう神聖な場所として、外国人の入京は禁じられていました。そこで、西郷隆盛は、藩主島津茂久の名で朝廷に願書を出し、無事に許可を得て、イギリス人医師のウィリアム・ウィルスによる治療を可能としました。
治療ではクロロホルム麻酔をした外科手術が行われたそうで、日本初のこと。
ウィリアム・ウィルスが治療をした100人を超える重傷者の中には、西郷隆盛の弟である西郷従道もいたとか。
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