BAKULAB。

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2016-11-27

大久保利通が東北巡幸時に詠んだ詩 和歌に込められた思いとは

2016-11-27
第74回展「書の美、文字の巧」に行ってきました。


宮内庁三の丸尚蔵館・書陵院で2016年9月17日(土)から12月4日(日)に行われています。


空いていると思っていたのですが、紅葉シーズンのせいか、土曜日のせいか、すごい賑わいでした。


後期11月12日〜12月4日の展示は、幕末から明治の有名な書簡が展示されていました。

特に今回嬉しかったのは、薩長同盟の坂本龍馬の裏書の複製じゃないもので見れたこと。
複製は何度も見ていたのですが、本物は初めてでした。
書陵部で保管されているんですね。

また、有名なものですと、
高杉晋作、久坂玄瑞、飯田正伯、小寺新之丞が安政5年に吉田松陰へ送った血判状も複製じゃないものが見れて嬉しかったです。
茶色くなった血判が生々しさを感じます。

その他に徳川斉昭の「誠」、島津久光の「独楽園記」(天保9年)など貴重な書簡が無料で見ることができ大満足。


大久保利通の述懐和歌「花散れば」の込められた思いを考察

さて、お目当ては、大久保利通の述懐和歌「花散れば」。

明治9年の東北巡幸の先発で東北に訪れた際に読まれた和歌だそうです。

花ちれば ふたゝひとわぬ 世の人を こゝろありとも 思ひけるかな


図録を購入したのですが、
「花が散ったあとには再び訪れることがない人を「心あり」と読んでいる」
「当時の士族反乱が相次いだことによって、かつての盟友らを処罰せねばならない利通の心境を表したものとも考えられるだろう」
と記載されています。

ただ、もしこの詩が「東北巡幸時」に読まれたものだとするならば、東北巡幸は、明治9年6月2日~7月21日、士族の反乱が起こったのが、同年の10月から(10月24日の熊本)なので、時期を考えると、戊辰戦争の戦後の東北の状態を見て、「心あり」と詩を詠んだ気がします。
3、4ヶ月以降に起こる10月に起こる内乱の処罰を考えていたのでしょうか。

大久保は西郷たちのことを信じていた(「無名の軽挙はしないだろうと考えていた」といわれている)ので、この詩を読んだ時期を思うと、「盟友らを処罰せねばならない」というのも少し違和感を感じました。
(※個人的な解釈です。)

また、こちらの詩は、「大久保利通文書九「甲東詩歌集」」にも記載されているもの。
こちらでは冒頭が「花ちらは」となっているそうです。


幕末の偉人たちの書簡が見れます

西郷隆盛の書簡や岩倉具視の書簡、吉田松陰の書など誰でも知っている有名な幕末の偉人たちの書物が見れるので、どなたでも楽しめると思います。
2016年12月4日までで、無料、展示物は満足行く内容のものばかりなので、ぜひおすすめです。


◆場所



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