BAKULAB。

BAKULAB。
2017-05-02

大久保利通の座右の銘「為政清明」「堅忍不抜」

2017-05-02
大久保利通は、死後に莫大な借金を残すほど私利私欲がない人でした。

よく、大久保は、薩摩人ぽくないと言われることもありますが、
私は、私利私欲のために動かない、お金に欲がないのが、やはり薩摩の武士らしい武士だなっと思います。

そんな大久保利通の人柄が現れる名言、格言について書きたいと思います。


為政者としての覚悟が現れる座右の銘「為政清明」

大久保利通の座右の銘には主に2つあります。
「為政清明」(いせいせいめい)と「堅忍不抜」(けんにんふばつ)です。

為政清明
鹿児島にある大久保利通像側の「為政清明」の石碑


「為政清明」は、
「政(政治)を行う者は、心も態度も清く明瞭なければならない、政治に尽くすものは私心を捨てなければならない」
という意味で、明治という国家を動かす為政者としての”覚悟”が現れた銘といえます。

千坂高雅によると「大久保卿が内務省に登庁しその靴音が廊下に響くと職員たちは私語を止め、それまでざわついていた庁舎内が水を打ったように静まり返った」という話があります。

明治維新後の政治家たちにも、汚職があり、そういった事態にならないように、厳格な態度を率先してとっていたように思えます。

汚職だらけの現在の政治家に聞かせてやりたい座右の銘です。


辛抱強く意志が固い、大久保の性格をよく表す座右の銘「堅忍不抜」

もう一つの座右の銘は、「堅忍不抜」です。

この四字熟語の意味は、どんな苦労や困難があっても、じっと我慢して耐え忍び、心を動かさず意志を貫き通すことです。


これはネゴシエーターとしての彼の性格を表す言葉だと思います。
大久保は、久光に対して、公家に対しての朝廷工作や諸侯に対して、粘り強い交渉をしてきました。
失敗してもあの手この手を変えて何度も何度も、ときにはじっと我慢したり。

特に、慶応元年の長州再征伐の勅許に反対運動をしていたときの粘り強い交渉や活動は、後の薩長同盟の原点にもなっています。
(このときの大久保の行動を記載した手紙を西郷が坂本龍馬に渡し、それが長州藩を動かすきっかけになっています。)

また若き頃、お由羅騒動で免職になった際、お金の工面をし、苦労していた頃があるので、「我慢して耐え忍ぶ」大久保の性格はここからできてきたのかもしれません。

大隈重信もそんな大久保のことを
「大久保は辛抱強い人で、喜怒哀楽を顔色に現さない。
寡言沈黙、常に他人の説を聴いている、『宜しかろう』言ったら最後、必ず断行する。
決して変更しない、百難を排しても遂行するというのが特色であった。」
と評価しています。

そういった意志の強さも時代を動かした原動力だったのかもしれません。
また、言葉に誠実な人ほど周りに信頼されると思います。


大久保の2つの名言、格言について紹介しました。
いかがでしたでしょうか。
大久保利通の他にも紹介したい格言、名言があるので、別の記事にて書きます。



◆この記事を見た人におすすめの記事
大久保の性格がわかる!?
・「鉄砲にも恐れない!?豪傑、大久保利道
・「子どもの頃はかなりヤンチャ1?大久保利通の知られざる逸話
・「大久保が死の直前まで持っていた西郷からの手紙〜紀尾井坂の変
・「大久保利通が死の直前に山吉盛典に伝えた未来〜済世遺言






 
Toggle Footer