久光が千人の兵を連れて、公武合体の改革を実現しようとした、道中。 先発隊で下関に待てと言われた西郷ですが、京都の尊攘激派の志士たちを抑えるために、命令を背き、上京してしまいます。 西郷を追った大久保は、西郷の状況を聞き、ひとまず安心。 そして、兵庫に戻ったのですが… 続...

大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年④ 〜西郷と大久保の決断
2017-09-27
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
久光が千人の兵を連れて、公武合体の改革を実現しようとした、道中。 先発隊で下関に待てと言われた西郷ですが、京都の尊攘激派の志士たちを抑えるために、命令を背き、上京してしまいます。 西郷を追った大久保は、西郷の状況を聞き、ひとまず安心。 そして、兵庫に戻ったのですが… 続...
文久2年、久光が1000人の兵を連れ、公武合体の改革を幕府に受け入れてもらうため、上京時、先発で行った西郷ですが、京都の尊攘激派たちを抑えるため、「下関で待て」という久光の命令を背き、上京してしまいます。 前回、前々回の続きです。 → ①西郷帰還と薩摩出発まで → ②下関...
薩摩藩の国夫、島津久光は、一千人の藩兵を率いて鹿児島を上京します。 その計画は、幕府に改革を求める一種のクーデターでした。 その先発として、文久2年3月、村田新八、森山新蔵らが先発で九州各藩の形成を視察して下関で待機、、するはずだったのだが、西郷は、命令を聞かず、上京をしてし...
今年、2017年9月24日は、西南戦争終結から140年、つまり、西郷隆盛没後140年の年になります。 そしてその2日後の9月26日は、大久保公の生まれた年。 そこで、今回は、西郷と大久保に焦点を当てた逸話について紹介します。 文久2年のこと。薩摩藩第29代藩主、島津...