場所は、西郷隆盛生誕の地から川をわたってすぐ近く(5分ぐらい)でした。
ひっそりと駐車場の前に碑があります(2014年5月)。
大久保利通誕生之地の碑 |
大久保利通の生誕の地の碑は2つ!?
勝田孫弥著の「大久保利通列伝」にも「利通の生れたる所は、甲突川の西の方に方り、高麗町と称うる地にあり、されど、其幼年の頃、家族と共に加治屋町に移住せしより」とあります。
実は大久保の生誕の地の碑は2つあります。
その理由を毛利敏彦氏は、「鹿児島の人が郷党の偉人として併称する西郷と大久保を、同一町内の出生としたい願いだろう」と推測しています。(※「大久保利通 維新前夜の群像5」)
また、加治屋町の生誕の地の碑が出来たのが、明治22年。
それまでの通説が、下加治屋町だったそうで、
誕生の地の碑が建立する直前になって、下加治屋町ではなく、高麗町だという説が有力になったそうです。
本来の生誕の地は高麗町にひっそりと
生い立ちの碑にある碑はそのままで、本来の生誕の地には小さい碑が立ち、現在に至っています。
本来の地にある碑は、とても小さかったです。
大久保誕生之地の碑の前にある解説 |
行った日が天気が悪く、ちょっと見づらいです。
高麗橋から甲突川を望む |
左側が加治屋町で右側が高麗町ですね。
高麗橋 |
ここで公が生まれたのか、ここで過ごしたのかと感慨深い感じでした。
やっと来れたという感じの方が正しいかもしれません。
今回は、新暦ですが、大久保の誕生日なので生誕の地の記事をアップしました。
ぎりぎりですが、9月26日中にアップでき、ほっと一息(笑)。
◆関連記事・リンク
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◆MAP:大久保利通生誕之地
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