本日、5月14日は大久保利通の命日です。 136年前の明治11年5月14日午後8時、石川県士族島田一郎らによって、紀尾井坂の変で倒れました。 その直前、彼を訪れた福島県令の山吉盛典に、今後の明治の将来について、話したとされます。(「済世遺言(さいせいいごん)」) ちょ...
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
本日、5月14日は大久保利通の命日です。 136年前の明治11年5月14日午後8時、石川県士族島田一郎らによって、紀尾井坂の変で倒れました。 その直前、彼を訪れた福島県令の山吉盛典に、今後の明治の将来について、話したとされます。(「済世遺言(さいせいいごん)」) ちょ...
開成館は、郡山の疎水事業である安積開拓の中心的役割を担った「福島県開拓掛」の事務所だった場所です。 大久保も絶賛、美しき擬洋風建築 明治天皇の東北行幸でも、明治9年には行在所として、明治14年には昼食会場として使用されています。 明治7年に建設された擬洋風建...
安積疎水は、猪苗代湖から安積地域へ水を引き、原野に農業用水、工業用水、飲用水を供給している疎水です。 もともと、安積地方は水源に乏しく、干ばつの影響を受けやすい地域でした。 中條政恒が大久保利通に進言し動き出した安積疎水事業 明治維新後、当時、安積疎水事業は、開...
大久保神社は、明治22年に、安積疏水の恩恵を残した大久保利通の遺徳を永く伝えるため、建立された神社です。 大久保利通の遺徳を伝える神社 郡山の、市街地からちょっと離れた所にあります。 JR郡山駅から車で10分ちょいぐらい。 安積公民館牛庭分館の中にあ...
幕末鴻門の会 の舞台となった柳橋。 「浅草橋駅」から徒歩10分弱の神田川の最後にかかる橋で、台東区と中央区の間にあります。 春の夜や花見返る柳橋 実際の柳橋。現在の橋は昭和四年(1929年)完成のものです。 柳橋は、渡船で往来していたが、不便だ...
大久保一蔵の意外な一面が見れる逸話があります。 それは、 文久二年(1862)年、薩摩藩国父である島津久光が千の兵を連れて、上京したときのことです。 その際、薩摩藩国父、島津久光は朝廷の信頼を得て、勅書を受け取りました。 長州の周布政之助らとの会席 ...
いろんな新聞やメディアに取り上げられていますね。 幕末・維新史が変わるかもしれません。 記事によって出ている内容が違っていたので、ちょっとまとめて見ました。 重要文化財レベルの資料が数百点、全部で数万点の資料 発見されたのは、私塾「山本読書室」跡の土蔵。 この宿は...
明治11年5月14日、大久保は紀尾井坂の変で、石川県不平士族の手にかかり、暗殺されました。 最後の書簡は、 伊藤博文にその早朝宛てた手紙 だといわれていますが、その前日、大久保利通は岩倉具視宛に書簡を送っています。 書簡の裏側に描かれる岩倉具視の「大久保利通の死」を悼...
船員教育発祥の地は、内務卿大久保利通が、三菱会社の社長岩崎弥太郎に依頼して、明治8年11月この地に商船学校を開設させた場所です。 船員教育発祥の地は、永代橋の側にあります 当時の場所を示す石碑が、東京都中央区の「永代橋」の側にあります。 永代橋は隅田川に掛かる橋で、この...
この年表は、「大久保利通(佐々木克/講談社学術文庫/2004)」と「大久保利通 維新前夜の群像(5)」(毛利敏彦/中央新書/1969)を参考にしています。 (編集中) ※ 赤文字 はサイト内のリンクに飛びます。 ※ グレーの文字 は主な事柄です。 ◆◆◆ 年表 ...