今現在も10月の第4週になると行われている「妙円寺詣り」は、鹿児島市内から日置市伊集院町の妙円寺までの道のりを歩いて参拝する伝統行事。 島津義弘が敗北した苦難と壮挙を偲ぶ明円寺詣り 慶長5年関ヶ原の戦いで島津義弘が敗北したその苦難と壮挙を偲ぶために、 片道約20...
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
今現在も10月の第4週になると行われている「妙円寺詣り」は、鹿児島市内から日置市伊集院町の妙円寺までの道のりを歩いて参拝する伝統行事。 島津義弘が敗北した苦難と壮挙を偲ぶ明円寺詣り 慶長5年関ヶ原の戦いで島津義弘が敗北したその苦難と壮挙を偲ぶために、 片道約20...
鹿児島市加治屋町の川沿いに大久保利通生い立ちの地があります。 「 大久保生誕の地の碑 」とありますが、この場所は生い立ちの地です。 ただ、建てた後に” 実は生誕の地が、高麗町の方にあること ”に気がついたそうです。 (記事「 大久保利通生誕之地【鹿児島/...
大久保一蔵(利通)と坂本龍馬の二人の仲が伺えるエピソードを紹介します。 龍馬、横井小楠に大久保に会った話を 徳富蘆花が、父、徳富一敬(いっけい・かずたか)の談話を聞いてまとめた「青山白雲」に、「沼山津村」という話があり、その中で坂本龍馬が、大久保に会った時の話が...
大久保利通生誕の地は、甲突橋を渡った高麗町にあります。 場所は、西郷隆盛生誕の地から川をわたってすぐ近く(5分ぐらい)でした。 ひっそりと駐車場の前に碑があります(2014年5月)。 大久保利通誕生之地の碑 大久保利通の生誕の地の碑は2つ!? 勝田...
本日、9月24日は、西郷隆盛の命日です。137年前の明治10年9月24日に西郷隆盛は亡くなりました。 薩摩兵は300、対し政府軍は4万 9月24日、午前4時に政府軍の城山総攻撃が始まりました。 西郷らは洞窟前に整列し、岩崎口に進撃したといいます。 城山...
「第26回 全国龍馬ファンの集い関東大会 IN 横浜」の「特別企画展 幕末維新遺墨展」@人形の家に行ってきました。 2014年9月13日から2014年11月3日まで開催しています。 有名な龍馬が霧島温泉で乙女姉さんに宛てた手紙(複製)や木戸孝允宛の新...
鹿児島加治屋町の側の高見橋の信号側に大久保利通の銅像があります。 この銅像は没後100年を記念し、昭和54年(1979年)9月26日に彫刻家・中村晋也氏によって制作されたものです。 9月26日といえば、大久保の誕生日ですね。 大久保利通像 ...
島津久光と大久保利通は、万延元年(1860年)3月、初めて面会したといいます。 当時、水戸藩浪士と連携し、井伊直弼ら幕閣を襲撃する突出計画が遂行し、大久保が誠忠組のリーダー格となって動いていたときです。 大久保はその年の閏3月には勘定方小頭格に任命され、それ以降、久光の...
大久保利通は、天保元年庚寅8月10日(1830年9月26日)、薩摩国鹿児島城下高麗町に、薩摩藩士・大久保利世(子老)と皆吉鳳徳の次女・福の長男として生まれました。 幼年の頃、家族と共に加治屋町(下加治屋町方限)に移住したといいます。誕生の記念碑も移り住んだ後の旧宅にあり...
大坂に濱寺公園の惜松碑があります。 大坂の濱寺は数里に渡る白浜と松の名勝で、紀貫之や藤原定家なども、この美しい景勝地を眺め、和歌を残している場所です。 高師の濱の松が士族授産で伐採 そんな名勝が、明治五年、士族授産のため人民に払い下げ、同年の12月から樹木が伐採される...
薩英戦争時の大久保さんの動向が気になったので、調べてみました。 薩英戦争は、文久三年の七月二月から七月四日、生麦事件の解決を迫る英国と薩摩藩で行われた戦争。 生麦事件から足あとを追ったほうが面白いと思うのですが、ここでは、薩英戦争時の大久保さんを調べたので、アッ...
本日、5月14日は大久保利通の命日です。 136年前の明治11年5月14日午後8時、石川県士族島田一郎らによって、紀尾井坂の変で倒れました。 その直前、彼を訪れた福島県令の山吉盛典に、今後の明治の将来について、話したとされます。(「済世遺言(さいせいいごん)」) ちょ...