第52回京の冬の旅で特別公開があったので、「大黒寺」に行ってきました。 公開は、2018年1月6日〜3月18日まで。 「大黒寺」は伏見の丹波橋駅から徒歩10分ぐらいの場所にある薩摩寺です。 伏見にある薩摩寺「大黒寺」 結構こじんまりとしたお寺。 住宅街の中にぽつ...
大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年④ 〜西郷と大久保の決断
久光が千人の兵を連れて、公武合体の改革を実現しようとした、道中。 先発隊で下関に待てと言われた西郷ですが、京都の尊攘激派の志士たちを抑えるために、命令を背き、上京してしまいます。 西郷を追った大久保は、西郷の状況を聞き、ひとまず安心。 そして、兵庫に戻ったのですが… 続...
大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年③ 〜伏見で西郷と会い、ひと安心
文久2年、久光が1000人の兵を連れ、公武合体の改革を幕府に受け入れてもらうため、上京時、先発で行った西郷ですが、京都の尊攘激派たちを抑えるため、「下関で待て」という久光の命令を背き、上京してしまいます。 前回、前々回の続きです。 → ①西郷帰還と薩摩出発まで → ②下関...
大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年② 〜下関に到着、いなかった西郷
薩摩藩の国夫、島津久光は、一千人の藩兵を率いて鹿児島を上京します。 その計画は、幕府に改革を求める一種のクーデターでした。 その先発として、文久2年3月、村田新八、森山新蔵らが先発で九州各藩の形成を視察して下関で待機、、するはずだったのだが、西郷は、命令を聞かず、上京をしてし...
大久保利通、西郷隆盛と心中!?決死の覚悟で挑む文久2年① 〜西郷帰還と薩摩出発まで
今年、2017年9月24日は、西南戦争終結から140年、つまり、西郷隆盛没後140年の年になります。 そしてその2日後の9月26日は、大久保公の生まれた年。 そこで、今回は、西郷と大久保に焦点を当てた逸話について紹介します。 文久2年のこと。薩摩藩第29代藩主、島津...
大久保利通の一周忌で発砲騒ぎ!? 今も残る石灯籠にも迫る
本日、5月14日は大久保利通の命日です。 大久保利通は、明治11年5月14日、石川県士族の石川県士族島田一郎らによって、その生涯を閉じました。 享年で49歳でした。 今回は、大久保利通その一周忌の話をしようかと思います。 川路利良大警視らは石灯籠を送る 大久保の...
大久保利通の座右の銘「為政清明」「堅忍不抜」
大久保利通は、死後に莫大な借金を残すほど私利私欲がない人でした。 よく、大久保は、薩摩人ぽくないと言われることもありますが、 私は、私利私欲のために動かない、お金に欲がないのが、やはり薩摩の武士らしい武士だなっと思います。 そんな大久保利通の人柄が現れる名言、格言につい...
大久保利通が東北巡幸時に詠んだ詩 和歌に込められた思いとは
第74回展「書の美、文字の巧」に行ってきました。 宮内庁三の丸尚蔵館・書陵院で2016年9月17日(土)から12月4日(日)に行われています。 空いていると思っていたのですが、紅葉シーズンのせいか、土曜日のせいか、すごい賑わいでした。 ...
戊辰戦争で薩摩藩の野戦病院となった相国寺の塔頭、養源院
相国寺の塔頭、非公開文化財である「養源院」が「50回記念 京の冬の旅」で特別公開されていたので、行ってきました。 養源院は、臨済宗建仁寺派のお寺で、本尊は薬師如来。 室町時代に曇仲道芳(どんちゅう どうぼう)(1367〜1409)が、相国寺の常徳院内に隠居のところとして、建...
◆敬天愛人の石碑【鹿児島/城山/西郷隆盛】
JR鹿児島本線の城山トンネルの入り口の上に、「敬天愛人」の石碑があります。 城山から西郷洞窟横の道を下だり、西郷隆盛終焉の地へ向かう途中に「敬天愛人」の石碑」の看板があり、矢印の方向を見るとトンネルの入り口の上に「敬天愛人」の文字が見えます。 ...
大久保たちも来た!岩倉具視が隠棲していた場所〜岩倉具視幽棲旧宅・対岳文庫
京都市左京区の岩倉に岩倉具視幽棲旧宅と、岩倉具視関係の史料が展示してある対岳文庫があります。 当時を感じられる!? 岩倉具視、5年間隠棲していた場所 岩倉具視は、和宮の将軍降嫁を推進したため、尊王攘夷の過激派から佐幕派と見られ失脚しました。 ここは、その後、隠棲としてい...
2015年BakuLaB。人気の記事
2015年ももう終わりということで、2015年BakuLaB。〜バクラボ(幕末維新ラボ)の人気の記事のランキングを作ってみました。 2015年人気のページランキングの1位は!? 1位: ◆大久保神社【福島/安積疎水/郡山/大久保利通】 大久保の遺徳を伝える神社で、福島...