本日、5月14日は大久保利通の命日です。 137年前、紀尾井坂の変で倒れました。 (2015/11/22 補足) ※この記事は、東京日日新聞と当時の人の証言をもとに記載しています。 大久保の所持していた手紙の1通は、明治11年5月13日付の楠本正隆書簡で、起業公債発行に...
幕末維新ラボ、略して「バクラボ」。幕末維新の三傑の一人、大久保利通(大久保一蔵)にフォーカスしたサイトです
本日、5月14日は大久保利通の命日です。 137年前、紀尾井坂の変で倒れました。 (2015/11/22 補足) ※この記事は、東京日日新聞と当時の人の証言をもとに記載しています。 大久保の所持していた手紙の1通は、明治11年5月13日付の楠本正隆書簡で、起業公債発行に...
薩摩藩は75万石の雄藩で、総人口は約70万人、そのうち約20万人、約4割が武士という、日本一武士の割合が多い藩です。 薩摩藩士たちの身分は、世襲制の家格によって階級がわかれていました。 薩摩藩の家格 薩摩藩の家臣たちの家格は、10の家格に分かれていました。 [...
大久保の有名な逸話で、島津久光に取り入る為に、囲碁を習ったという話があります。 吉祥院に囲碁を習い、久光の碁の相手に 島津斉彬が逝去されたのが、安政五年の七月。 大久保がリーダーの誠忠組で突出計画が出たのも、それから半年も経っていないときでした。 藩主は、...
開成山大神宮の側の駐車場近くに中條政恒翁頌徳碑と安部茂兵衛銅像があります。 「安積開拓の父」である中條政恒翁頌徳碑 中條政恒翁頌徳碑にあるこの碑文、なんと、大久保利通の長男、大久保利武が書いたものだとか。 中條政恒翁頌徳碑の説明文です。 ...
江戸開城において、西郷隆盛が江戸に総督府参謀として向かう前に、このような書翰を大久保利通から受け取っています。 恭順をしているなら寛大な思し召しを 徳川氏処分に関する意見書 明治元年二月 一 恭順の廉を以って慶喜処分の儀 寛大仁恕の思食(思し召し)を以って死一等を滅...
開成山公園の道挟んで、隣に開成山大神宮があります。 開成山大神宮は、東北のお伊勢さまといわれ、天照大御神をご神徳としている神社です。 安積開拓の開拓民の拠りどころ開成山大神宮 この神社は、中條政恒が安積開拓で開拓民の精神的なよりどころにする目的で、 伊勢神宮の分霊...
堀次郎(伊地知良馨)の日記の日記にある内容で、 西郷吉之助(西郷隆盛)と大久保正助(大久保利通)の逸話にこんな話があります。 自分が死んだら代わりは大久保しかいない 安政年間、西郷隆盛が将軍継嗣問題や幕政改革などに国事に奔走していたころ、 井伊直弼の大老就任に...
あけましておめでとうございます。 新年1本目はどうしようかと悩んだのですが、今日飲んだ芋焼酎が小松帯刀だったので、大久保利通から小松帯刀への手紙を紹介します。 小松帯刀は、薩摩藩の家老で、幕末期、大久保、西郷と共に活躍しています。 京都から帰藩の際に小松へ送った二首...
開拓者の群像は、1992年にふるさと創生事業として建立されたモニュメント。 郡山の開成山公園に拓者の群像があります。 群像のメンバーは、安積開拓の父・中條政恒、安積開拓決定のキーパーソン・大久保利通、安積疎水を決定づけたファン・ドールンです。 安積開拓をモチーフに作...
伊藤博文が大磯の滄浪閣で話した話の続きです。 (→(記事) 大久保利通は立憲政治を目指していた ① ) 大阪会議は実は、民間政客の意志によって成立したもののように伝えられていますが、 事実の真相を誤っていると伊藤は言っています。 国会の将来を思い木戸を推したい ...
伊藤博文が大磯の滄浪閣で話した話が「甲東逸話」に載っており、それが興味深いものだったので紹介します。 その内容は、大久保利通の死後、憲法制定の頃、板垣退助が演説された新聞記事を見て語ったもの。 大久保を最近でも専制主義の人という見方がありますが、そうではないと伊藤が語っていま...
11月23日「大相撲九州場所・千秋楽」が行われ横綱白鵬が、横綱鶴竜を下し、大鵬に並ぶ歴代最多32回目の優勝を飾りました。 大久保と明治天皇が相撲という伝統文化を守った!? その優勝の際のインタビューの中で、 「明治時代の初期。大久保利通という武士と明治天皇が(相撲という...